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激流のタライロン

ガソリーナを30リットルと少しだけ買って近くのイガラッペ(小川)で竿を出す。

アマゾン下流であるこのエリアは潮位差が大きく満月も重なってか2m以上はあっという間に水位が変わってしまう。

 

 

ピロテーロ(案内人)のテシェイラのプランで現地時間の夜9時の満潮に合わせて舟を出した。

干潮付近で釣りをすればあっさり舟が座礁してしまう危険もあるためだ。

タライロンの夜釣りといえば餌釣りが一般的だが、他魚種たちも含めてどんな反応をするのか見ものだったので、ビックバド・スピナーベイトを軸に反応を見る。ルアーの大小・レンジをかえて…と色々試すが全く反応は無かった。

 

 

翌朝は早朝より本流のカショエイラ(滝)へと向かう。

この滝が肝で漁師達は皆このカショエイラを舟で押して上がる事を嫌うのだ。理由は明白だ。危険が伴うのは勿論の事だが、下流の汽水域の魚を獲った方が儲かるので危険を冒してまで水揚げが少ない上流に登る意味がないのだ。

 

 

なかなかの急流である。

私も今回は場所探しの旅という事で、荷物を軽量化した際にライフジャケットをサンパウロに置いてきてしまった。

パタゴニアの防水バックしか浮力となるものもないので無理はできない。足を滑らせて流されでもしたら誰も助けてくれないので今回の冒険はここまでだ。

時間も装備もない。

 

 

赤道直下の太陽の中、焼けた岩の上での釣り。うだる暑さに耐えきれず水浴びをしていると、川を上る人達の姿が目に入った。

 

 

話を聞いてみると、

いったん滝の前まで人と荷物(上流の村への補給物資)を船で運び、滝は人と荷物だけで人力で登り、滝の上に待っている船に乗り換えて…

を何度も繰り返して上流を目指すという移動手段があったのだ。

この便は1日に一回あるかないか。定員に満たなければ運行しないらしいという極めて南米仕様の移動手段である。

私はもう数時間後には街を離れなければならない。

この川の上流は来年以降のお楽しみだ。

一緒に行動していた西村君には私が帰ったら迷わずこの川を上るんだ!!と伝えて街を後にした。

時間に追われて中途半端になってしまったがこれも旅の醍醐味。

また来れば良いのだ。来年はああしよう!こうしよう!と思案を巡らせる事が好きなのだ。

帰国してから数日後、南米放浪中の西村君より連絡があった。

彼は幾多の苦難を乗り越えて漆黒のダイアモンドを満面の笑みで抱えていた。

 

 

彼は40レアル(1000円)の安宿を街で知り合ったヒッピーと割り勘して自分はハンモックで寝るなど苦渋の節約をしてタライロンの旅に挑んでいた。

おめでとう!本当におめでとう!自分のことのように嬉しかったし、羨ましさもあった。

そんな彼が撮ってくれた写真の一コマ。

彼と一緒に泊まっていたヒッピーのマリアーナにシャツのボタンをつけて欲しいと依頼したら、その場で脱がされて20レアルぼったくられた図。

 

 

カショエイラ(滝)にアタックするので靴を買いに行くが小さい靴ばかり。

おばちゃんが押し売り気味に無理やり入れたのに脱げなくなって、バカ笑いしている図。

 

全てが良い思い出だ。

ありがとう西村君!今度は福岡で飲みながら南米話で盛り上がりましょう!

私は来年またアタックするよ!!

インディオ保護区の今

本命のタライロンはインディオの村がある下流エリアには少ないようで、木のカヌーを押して上流に上がりながら岩礁帯が絡んでこれば釣れるようである。

明日からの1日キャンプに備え、もう一人のピロテーロがカヌーや食料などを準備してくれている間、今日は時間もないので下流で他のターゲットを釣ろうということになった。

 

 

アロワナはルアーの後ろを追いかけてくる引き波が分かりやすいのでとても興奮するターゲット

スピナベにて。

 

 

とても美しい眼だ

 

 

ブラックピラーニャも独特のアタリで楽しませてくれる。

 

 

やはりこの魚の眼は狂気に満ちている

 

 

食事は釣れた魚達とファリーニャにピメンタをかけて頂く。

釣りを楽しんで夕方に村に戻ると朝に挨拶に行った管理者らしき男が来ていた。

再び握手を済ませると、急に話し出した。

私達を気遣って分かりやすく話しかるのではなく、明らかに難しい言葉で、まるで条文を読み上げるような話し方だ。

9割5分は何を言っているのか理解できない。

ピロテーロ達は最初は頭に?が付いていたようだが途中から目でこちらに合図を送りながら首を横に振っていた。なんとなく理解できた。

こういうパターンの話はだいたい保護区の利権を利用したカネの話だ。終始何を言っているのか分からなかったが、

来週の水曜日(4日後)にもう一度役場に来てくれ。もう一度証明書を売る。という最後の言葉はよく理解できた。

ペスカ デポイス ペルミソ?(釣りは証明書の後ね?)

と聞くと彼はゆっくり頷いた。

しかしその日には日本に到着していなければならないと、なんとか説明して理解を求めるが無理な話であった。

翌日役場で聞いてみるとどうやら役場内でも賛成派と反対派の2つに分かれているようなのだ。

反対派の理由は利権である。

SNSとインターネットの普及が進み、釣りがお金になる事を知っていてルールを作ってビジネスしようとしているのだ。

私が証明書を貰ったのは賛成派のインディオ出身の公務員。

色々と現地の内情が分かってきた。

私達が火種になってはならぬ!という思いから

1年後にまた来るよ!と言って役場を去った。

もし気持ちよく了承してもらえるようなら来年またアタックすれば良いのだ。

この時点で私のタイムリミットは残り30時間程しか無かった。

来年の為に無理にでも本流で竿を出しておこう!

と気の良いバイクタクシーの運転手を捕まえて漁師さんを紹介してもらった。

 

 

夕方から夜釣りに行くぞ!!って事で4時間後に出発だ。

早々に準備を済ませてヒマになったので資料館を見学してきた。

 

以下はインディオ資料館より

22枚と重いですがあまり目にすることの無い資料だと思います。お楽しみくださいませ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てがオリジナル

全てが野性

感銘を受けます

百聞は一見にしかず!!

インディオ

許可証を握りしめてINDIO保護区へと向かった。

アマパー州の総面積は142,815㎢。北海道が83,454㎢であるから実に北海道の1.7倍以上の面積を有していて数え切れない程の川がある。

アマゾン川に注ぐ川。独立水系を含めて全てを見たとは到底言えない。

各村の役場などで地図を見せてもらうと良い。実はGoogleマップには写っていない川が網の目のように幾重にも重なっている。

その中でエリアを絞って出発するまでに5日間を要した。

それでも元々気になっていた場所、名前の上がった地名はしらみつぶしに周った。

モーテルを使ったのは1回のみ。他は全て移動中のバスで睡眠をとった。

私には残された時間が無いのだ。

ボリビアの山岳渓流で釣りをしてから実に1週間ぶりの釣りだ!我ながら驚異的なスピードである。チンタラやっていたら2週間くらいあっという間に過ぎてしまう。

ようやくたどり着いたインディオ保護区。indio達は迎え入れてくれるのだろうか

 

なかには好戦的な部族もあるので注意が必要だが、役場や街の人達に聞いた限りでは問題無いようだ。

この時ばかりはと気の良さそうなタクシーの運転手を捕まえる。

ポルトガル語も挨拶に毛が生えた程度しか話せないので1人でも話せる人がいると本当に助かるのである。

村の写真は殆ど無い。いきなり日本人が来てパシャパシャと写されたらあまり良い気はしないだろう。

日本人として恥ずかしい事はしたくないのである。

運転手を連れてきたお陰か一気に話が進んだ。いきなり今日釣りをして良いと言うのだ。

白髪のペスカドールZiudu(ジィゥドゥ)は言った。ファリーニャ(芋を乾燥させて粉状にした食材)は3kg必要だ!

 

え!?今日はとりあえず日帰りってさっき言ってたじゃないか!?

まぁ良い。トードプレゼンチ(全部あげる)と言ったらニコニコしていた。

船の準備をするから少し待っててくれ!

という事で一緒に釣りに行くもう1人のペスカドールJosiney(ジョジー)の家にお邪魔させてもらった。

 

澄んだ目を見れば一目で分かる。

粋な男だ!

彼は家から漁の道具を取り出して見せてくれた。

こいつはデカいタライロンとピラルクに使うのさ!銛の柄はマラピニマの木で出来ているんだと説明してくれた。

物凄く硬い。日本の木刀に使われる赤樫のような硬さだ。やはり大物用はしならずに貫通力を高めるという事なのだろう。

 

小物用の銛は何処でも共通の形だ。

 

メラウーバの木は弓に使うそうだ。硬さとしなやかさがちょうど良いバランスだ。

 

ヘモ(オール)にはグアパガイの木を使うそうだ。どの素材も適材適所。アマゾネスは伊達じゃないのだ。

そうこうしているうちに舟の準備が整ったようで早速出発だ。

どうやら目的のタライロンは上流にいるようで、今日は時間も無いのでその場所まで行かずに日帰り釣行。

明日小さなカヌーで溶岩帯を押して登りながらキャンプする手筈となった。

タライロンを求めて

ジャングルに強いと言われるClaroSimもここでは無力だ。

wifiLINEに一言返信するだけで10秒以上かかってしまう。

今は悪路をバスに揺られながら空港へと戻っているところだ。

電波状況で事後更新となりますが宜しくお願いします。

 

4日間タライロンを探してアマパー州を西へ東へ探し歩いた。

アマパタライロンと名が付くだけあってこのアマパー州ではどのエリアでも3〜6kgのタライロンはいるようである。

 

 

さっさと適当な場所で竿を出せば魚は触れるだろう。

しかし夢は大きく持ちたいものだ。

折角の大アマゾンである。

10kg以上が住まう

出来れば夢の大物が住まう川で竿を振りたいのが本音だ。

 

タクシーの運転手・魚屋・市場・釣具屋・釣り人・漁師・はては宿の女将さんにまで計何百人と聞き込んだ結果、6割前後が同じ地名を口にした。

以前この地を訪れた日本人の情報は信用出来ない…

自分の目で見て聞き込んで、その写真や実物の魚を見るまで私は信用しない。

取りこぼしの無いよう、いくつもの町を訪れた。

町から村へ。村から町へ。

 

深夜の国道で長距離バスを捕まえる。満員だったら引き返すという無謀な計画だ。

できればモーテルは使わず移動中に睡眠を取りたいのだ。

街の外れにある国道まで運んでくれたアミーゴ達。

途中寄り道してギャルを2人積んできた。イケてる奴らである。

 

 

車内はGun’sが流れている。全員ノリノリだ。

日本ではこんな時代は終わってしまったなぁと少し寂しく思いながら星空の下でバスを待つ。

 

 

運良くバスは捕まったが

超絶的に太ったおばちゃんの隣しか空いていない。

これはもう隣は誰も座れ無いだろうとチケット売り場で判断され、故意に空けてあるだろう席しかないのだ。

おばちゃんはギョロりと此方をにらみ

席をパンパンと叩いて、座って良いぞ。と言ってくれた。

隣に身体をねじ込んでスグだった。爆音のイビキであるパンチが効いている…次回は耳栓も持ってこよう…

眠れないまま6時間バスに揺られやっとそのエリアにたどり着いた。

 

 

今回も旅の目的は場所探しと友好関係を築く為にあるのだ。

勿論タライロンは釣りたいが、先ずは足場を固めたい所である。

また来たい!

と思える場所ならまた来れば良いのだ。

今回は時期があっているかすら定かではないからだ。

ピロテーロ(案内人)を探そうと宿を出て直ぐの事だ。

唐突であった。

いきなり背後からハイタッチのように肩を叩かれた。

左手に持っていたコーヒーがこぼれて腕にかかった。

思わず右手の拳を握り固めて、構えながら振り向くと

 

 

なんと西村君であった

彼は2週間前からこの土地を旅して同じくタライロンを探していたのだ。

危うく殴ってしまいそうになったが、旅先で目標を同じくする日本人に会うのは嬉しいものである。

 

 

ボリビアでも3年前にマナウスで出会ったカズさんに会ったし、今回は良く日本人に会う旅である。街を歩きながら色々と話を聞くと、キャンプして上流まで登ってくれるピロテーロが見つからず、1週間前後足止めを食らっているようなのである。

 

 

ポルトガル語を私より話せる男が困っているのだからこりゃ一筋縄ではいかないな

と思いながら2人でおしゃべりしながら川辺を歩く。

やはり正攻法が良いのでは?

と証明書をもらいに役場へ。

西村君が町中の人達にタライロンが釣りたい!と話しまくっていたおかげか、私の運か

あっさりインディオ保護区の許可証を手に入れた。

開拓の旅

総合計23kgの荷物を8kgまで軽量化

80Lから25Lに厳選して詰め直す。

これは宿に荷物を預けて動くのでは無く、全ての荷物を持って身軽に動く為だ。

残りの荷物は信用のおける友人に預けて新たな旅のスタート。

地図も必ず一緒だ。

グーグルマップが使えなくなったらコイツが活躍する。

先ずはアマゾン川下流の街アマパマカパへ。

世界最大の流域面積を誇るアマゾン川の下流では水平線が見えるのみ。

完全に海です。正にHorizonte

釣具屋やメルカドは休みであったが情報は山盛り。

次なる目的地も決まりバスに乗り込みます!

いつインターネットが切れるか分からないアベントゥーラですので更新も繋がった際に行います!

チャオチャオ